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安部支持の反動化する「国家主義者」飯山一郎 
by hilng
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[アクティオ 機関誌掲載] 相沢一正東海村議員 執筆 

「反原発自治体議員・市民連盟」共同代表の相沢一正東海村議員が、アクティオの機関誌に執筆

巨大地震のその日、それからの3日間 
東海第二原発も決して安泰ではなかった 
東海村議員・相沢一正 (actio2012年3月13日本誌1314号掲載)


相沢一正東海村議と極左暴力集団 1.

相沢一正東海村議と極左暴力集団 2.

マルクス・レーニン主義 プロレタリア世界革命
「ブント(BUND)主観主義 四人組」


相沢一正東海村議と極左暴力集団 3.

土田邸爆破事件「戦旗派が実行」 関係者が書籍出版 47news

[日本戦後史秘話 26年間封印]
1978年 日本財界、テロ(成田空港管制塔事件)に屈服=休戦申し入れ  
土光敏夫(当時、日本経済団体連合会長)も出席  柘植洋三 証言


清水丈夫中核派議長と林紘義元社労党委員長

 われわれ(社労党)にとって、ことの起こりは2002年に林紘義氏が病気で倒れて入院したということから始まる。しばらくして、もっと驚いたのは、社労党(社会主義労働者党)を解党して、『資本論』の原理主義運動をやるということだった。そして、横井が林紘義氏から清水丈夫氏の『提案』を聞いたのは、社労党最後の中央委員会が終わって、帰る時だった。

 横井が聞いたところによると、実は、清水丈夫氏の『提案』はもっと包括的なものだった。

 要約すれば、

 1. (林紘義氏に)綱領の作成に協力してほしい

 2.(林紘義氏に)中核派の指導を引き受けてほしい

 3. 必要があれば、中核派を解党して、第3の党(革共同中核派と社労党を解党して作られる新しい労働者党)をつくってもいい

 というものでした。もちろんこれは非現実的ということで、林紘義氏は全部、断った(はずだ)。

 しかも、林紘義氏が“天敵”であるはずの横井にそういう話をしたということ自体、「どうせ社労党はもうすぐなくなるし、アンタはもう用済みなのだから、階級闘争にそこまで固執するというのだったら、中核派にでも行ったら」ということを言外に臭わせていた。実際、この話は誰が聞いても、非現実的だ。そもそもが林紘義氏と清水丈夫氏が再会したこと自体、二人とも病気(しかも決して軽くはない病気)で同じ病院に入院したことから始まっているのだから、どちらが急に健康体を取り戻す、ということは考えにくいだろう。

 それに、失礼ながら、この頃の林紘義氏は生物学的な病気プラスもう一つのビョーキを患っており、そうだからこそマルクス主義の古典派経済学化(マルクス主義を古典派経済学まで引き戻す)という見果てぬ夢を追いかけていたのだった。つまり清水丈夫氏は、不幸なことに、林紘義氏が昔の林紘義氏ではなく、もう政治運動に対する関心も、社会主義への情熱も持ちあわせていないことを知らなかったのである。

 だから、この一つの時代を画した二人の“革命家”の“老いらくの恋”ははじめから片思いに終わる宿命にあったのだが、ここに見えるのは清水丈夫氏の労働者党建設にかける執念のようなものだろう。それで清水丈夫氏は、客観的に見れば、無謀でしかない『提案』をしたのだろうが、こういう歴史的なエピソード自体が、当時、左翼運動が追い込まれていた沈滞と解体的状況を示している。

中核派議長・清水丈夫【党内搾取】

関西支社が分派活動統制力弱まった「中核派」

 これまで中核派の離反者は、たとえ中央に不満があったとしても「完黙」を要求され、一切の政治活動の放棄を強制されてきた。「脱落」後も活動する者は「反革命」と断罪されるのが常だった。分派活動などありえなかったのである。

革共同中央による「小西=反革命」規定糾弾!!
こころある中核派活動家諸君に訴える



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by hilng | 2012-03-29 21:42 | 原子力
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