「琉球新報」の「尖閣領土問題」に関する記事に反論する |
琉球新報2010年11月28日の記事:「八重山郡尖閣列島」中国からの感謝状に明記 石垣市内で発見 「琉球新報」の「尖閣領土問題」に関する記事に反論する 1.「中華民國駐長崎領事」の「八重山郡尖閣列島 中国からの感謝状」にはどこにも「中国側が尖閣を日本固有の領土であることを公式に認めていたこと」が書かれていない。しかし「琉球新報」は、「中国側が尖閣を日本固有の領土であることを公式に認め」たかのように主張している。 2.「琉球新報」のこの記事は、当時の歴史的背景、すなわち.「大日本帝国」が侵略戦争により台湾を始めとする日本の近隣地域を植民地にし、支配統治してきた史実を無視している。 日清戦争前後の「大日本帝国」の侵略によって台湾は日本の一部になり、尖閣列島は「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」になった。 外交上、中華民国駐長崎領事か「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と当時表記するのは当然である。このことが「中国側が尖閣を日本固有の領土であることを公式に認め」たことにはならない。 3.戦後中国に成立した「中華人民共和国」が「尖閣が日本固有の領土であることを公式に認めて」いないのにもかかわらず、中国別政府の「中華民國」の感謝状を持ち出し「中国側が尖閣を日本固有の領土であることを公式に認めていたこと」などと言う「琉球新報」のこの記事は、「中華人民共和国」と「中華民國」か別政府であることを明記せず「中国側が尖閣を日本固有の領土であることを公式に認めていた」などと主張し、日本の読者に間違ったイメージを与えている. -------------------------------------------------------------------------------------- 「琉球新報」2010年11月28日の記事 「八重山郡尖閣列島」中国からの感謝状に明記 石垣市内で発見 中国側が尖閣を日本固有の領土であることを公式に認めていたことを裏付ける貴重な史料となり、27日に会見を開いた中山義隆市長は「新たな歴史的証拠が出てきた。石垣市の行政区域として尖閣をしっかり守りたい」と語った。 感謝状は1919(大正8)年冬、中国福建省の漁民31人が遭難し尖閣諸島魚釣島に漂着した際に、石垣村(現・石垣市)の住民が救助したことに感謝の意を表し、翌20年に中華民国駐長崎領事が石垣村長の豊川善佐氏(1863~1937)に贈ったもの。領事名の馮冕(ひょうめん)の下に「華駐長崎領事」の印と年月日の上に「中華民國駐長崎領事印」の印も押されている。 感謝状は1919(大正8)年冬、中国福建省の漁民31人が遭難し尖閣諸島魚釣島に漂着した際に、石垣村(現・石垣市)の住民が救助したことに感謝の意を表し、翌20年に中華民国駐長崎領事が石垣村長の豊川善佐氏(1863~1937)に贈ったもの。(2010年11月28日「琉球新報」 ) -------------------------------------------------------------------------------------- 「八重山郡尖閣列島 中華民國からの感謝状」についての日本共産党の見解 尖閣諸島問題 日本の領有は歴史的にも国際法上も正当 ―日本政府は堂々とその大義を主張すべき― 2010年10月4日 日本共産党 2010年10月5日(火)「しんぶん赤旗」 1895年1月14日 「大日本帝国」が国際社会に「尖閣諸島の領有宣言」をした事実はあるのか! = 尖閣諸島は「わが国 固有の領土」なのか! 尖閣諸島の領有......「1895年1月14日の帝国政府の閣議決定」を「1895年1月14日の領有宣言」にすり替え、大日本帝国の中国/アジア侵略の歴史を歪曲ねつ造する日本共産党 尖閣領有/日帝の中国侵略の歴史をねつ造する日本共産党 2. 大元帥陛下=昭和天皇が米国に売った尖閣・八重山 ・沖縄諸島 「尖閣」ビデオがユーチューブ流出 / 日本共産党が日中戦争挑発 石垣市長 「尖閣上陸方針貫く」 琉球新報 【石垣】11月12日の衆院外務委員会で前原誠司外相が尖閣上陸を認めない考えを示したことについて、中山義隆石垣市長は「上陸の方針を貫く」と述べ、今後も上陸に向けて行動するとした。 琉球新報 記事も問題! 琉球新報支局長も問題! ....琉球新報支局長が尖閣上陸 「取材でなく個人的興味」 仲間均 石垣市議会議員 活動ブログ 尖閣諸島上陸 尖閣諸島を守る会 |
by hilng
| 2010-11-29 21:49
| 亜細亜
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