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プロレタリア世界革命を唱える中核派と成田空港反対運動の歴史と展望
by hilng
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相沢一正東海村議と極左暴力集団 2.

相沢一正東海村議と極左暴力集団 1.

あいざわ 一正 東海村議会議員 ホームページ
前回の選挙「脱原発を掲げた相沢一正さん 東海村議会選挙で見事返り咲き」

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1月20日茨城県東海村議会選挙が行われ、元議員の相沢一正さんが返り咲き当選を
actio.gr.jp アクティオ(Actio)ホームページ 2月 9th, 2008 by taketake in レポート
/アクティオが削除した機関紙「SENKI」の記事
(あいざわ 一正 東海村議会議員 ホームページ 「前回の選挙 脱原発を掲げた相沢一正さん 東海村議会選挙で見事返り咲き」と同一の元記事)
画像の詳細
種類: JPG  日付: 2008年1月15日 カメラ: Panasonic DMC-FX2
設定: 1/125s, f/9.5, ISO 64  焦点距離: 14mm(35mm フィルムの場合は 89mm)
フラッシュ: なし  露出バイアス: 0 EV





荒岱介追悼。無惨な党生活の克服方途は? 投稿者:神津陽

 (2011年) ガンで死んだ荒岱介 の5月8日の告別式に、浦和延命寺まで足を運んだ。 米田隆介は友人代表として、 社学同 委員長として安田講堂決戦 に関わった荒岱介を社学同行動隊長だった自分は支持し誇りに思う、批判の声は多いが自分には評価対象外だと述べた。また解体した戦旗派を継いだ アクティオ の水沢代表は、不平不満は述べなかった。

 おそらく葬儀委員長の鈴木啓太郎が固めたこの冒頭演出で、告別式の基本方向は固まった。集団で突如出現し無言で退席した30名ほどのアクティオ一行のほかは、バラバラな荒の同世代諸個人で会は粛々と進行した。なかでは互助会関係は6名ながら参加最大グループだった。

ブント(BUND)

1995年1月 共産主義者同盟が機関紙の「戦旗」を「SENKI」と改称。荒岱介代表。

1997年3月 共産主義者同盟が名称をブント(BUND)に変更。「ブントのマニフェスト」を発表し共産主義を放棄、環境派へのシフトが行なわれる。

2007年5月 荒代表辞任。総会で水澤努を新代表選出。

2007年5月 総会で機関紙名の表題をSENKIからActio(アクティオ)に変更。

2008年1月 臨時総会で組織名称を「アクティオ・ネットワーク」に変更。

荒岱介@三里塚/アクティオが削除した機関紙「SENKI」の記事

荒岱介@三里塚/アクティオが削除した機関紙「SENKI」の記事 2

廣松「東亜の新体制」を継いで 荒 岱介さん
/アクティオが削除した機関紙「SENKI」の記事


荒岱介論文批判 「批判の自由」はほんとうに守られてきたか?





マルクス・レーニン主義 プロレタリア世界革命
「ブント(BUND)主観主義 四人組」

荒   岱介(あら たいすけ、1945年6月26日 - 2011年5月3日)

林紘義(はやしひろよし、1938年7月24日 -)社会主義労働者党委員長を経て、マルクス主義同志会代表 東京大学大学院社会科学研究科修了

清水 丈夫(しみず たけお)東京大学経済学部卒 中核派議長

北小路  敏(きたこうじ さとし、1936年8月4日 - 2010年11月13日)
京都大学経済学部卒業 元中核派最高幹部

中核派最高幹部の北小路敏氏が死去

過激派「中核派」(革命的共産主義者同盟全国委員会)の最高幹部の一人だった北小路敏(さとし)氏(74)が2010年11月13日に死亡した。

中核派指導者「北小路敏」氏の履歴

週刊『前進』(2469号2面1)(2010/12/20 )
北小路敏同志の逝去に際し、万感の思いを込めて心から追悼の意を表す
革命的共産主義者同盟議長 清水丈夫


戦後学生運動(1960年安保闘争後)、ブントの大混乱概略

 ブント全学連の栄光を死守しようとしたのがプロレタリア通信(プロ通派)派であった。全学連書記局派とも云われ、この派には、青木、北小路敏、清水丈夫、林紘義らが連なった。両者の中間的立場に立って「ブント=安保全学連の闘いは正当に評価されるべきだ」と主張した。9.14日、「プロレタリア通信」復刊第一号を出したことから、「プロ通派」と云われる。

清水丈夫はどこに行くのか?

 自分たちが、単なる反対派を「反革命」と言っているだけなのを民衆が暴かない、とでも思っているのでしょうか。この傲慢さが清水と一部政治局官僚の思想なのです。

ブントと60年安保闘争~ 60年安保闘争50周年集会~

ブントの掲げた「全世界を共産主義に獲得するために」という高い理想

中核派議長清水丈夫の『提案』と社労党委員長林紘義

 ことの起こりは2002年に林紘義氏が病気で倒れて入院したということから始まる。しばらくして、もっと驚いたのは、社労党(社会主義労働者党)を解党して『資本論』の原理主義運動をやるということだった。

 そして、横井が林紘義氏から清水丈夫氏の『提案』を聞いたのは、社労党最後の中央委員会が終わって、帰る時だった。横井が聞いたところによると、実は、清水丈夫氏の『提案』はもっと包括的なものだった。要約すれば、(林紘義氏に)綱領の作成に協力してほしい。(林紘義氏に)中核派の指導を引き受けてほしい。必要があれば、中核派を解党して、第3の党(革共同中核派と社労党を解党して作られる新しい労働者党)をつくってもいいというものでした。



関西支社が分派活動統制力弱まった「中核派」

 これまで中核派の離反者は、たとえ中央に不満があったとしても「完黙」を要求され、一切の政治活動の放棄を強制されてきた。「脱落」後も活動する者は「反革命」と断罪されるのが常だった。分派活動などありえなかったのである。

革共同中央による「小西=反革命」規定糾弾!!こころある中核派活動家諸君に訴える

中核派議長・清水丈夫【党内搾取】

東海村議選、「脱原発」の相沢一正氏が当選



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by hilng | 2012-02-24 19:30 | 原子力
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