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イスラエルのガザ侵攻と悪性インフレ/東海投資経済
by hilng
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尖閣諸島日中命名合戦と領有問題~「日本固有の領土」なのか

「尖閣諸島は日本固有の領土」というマスゴミと日本共産党など既成政党による日本国民マインドコントロールとその歴史的真実

中国、尖閣71島命名 日本の名称公表に対抗

中国政府は3日、日本政府が沖縄・尖閣諸島(中国名・釣魚島)の周辺を含む無人島に命名したことに対し、独自に71の島に命名する対抗措置に出た。

尖閣諸島の領有......「1895年1月14日の帝国政府の閣議決定」を「1895年1月14日の領有宣言」にすり替え、大日本帝国の中国/アジア侵略の歴史を歪曲ねつ造する日本共産党

尖閣領有/日帝の中国侵略の歴史をねつ造する日本共産党 2.
大元帥陛下=昭和天皇が米国に売った尖閣・八重山 ・琉球諸島


大元帥陛下=昭和天皇の沖縄メッセージ

尖閣列島と東アジア―九月末

日本が尖閣列島に着目したのは明治も半ばの一八八五年であるが、その時点では領有化はあきらめた。沖縄県令の西村捨三、外務卿井上馨、内務卿山県有朋の名がが政府のやりとりの中に出てくる。以降の一〇年間、清国との関係で尖閣諸島の帰属について政府として踏み込むことはなかった。だが一八九五年、日清戦争が勝利となりそうだと明らかになった時点で、尖閣諸島の領有を閣議決定したという歴史である。
 
「日本政府が「久場島魚釣島」に標杭を建設する決定を出したのはこれらの島嶼の領有だけを目的としたものではなく、台湾と澎湖島の領有をも念頭に入れた行動であった。したがって下関条約でその目的を達成したため、久場島、魚釣島への標杭建設のことをすっかり忘れてしまった。ここに石垣市が地籍表示のための標柱を建てたのはなんと閣議決定から74年後の1969年5月10日。琉球政府がこれらの島々の領有を宣言したのは1970年9月10日である。つまりこの周辺海域に石油が産出する可能性がある、といわれてからあわてて領有権を主張しだしたのである。」
 村田忠禧(横浜国立大学)『 尖閣列島・釣魚島問題をどう見るか――試される21世紀に生きるわれわれの英知』より引用。
 
 つまり、日本政府が固有の領有権と主張するが、実際は一九七〇年九月十日にすぎず、それも当時の琉球政府の手によるものだった。それ以降でもわずか四〇年にすぎないし、しかもその時点では日本政府はなんらの発言力もなかったはずである。
 
 さらに、付け加えるべきは、尖閣列島が「無主地」であったということで、ある日本人の何ものかが私有地としてかつて日本政府に届け出たことがある、ということについての「偽り性と危険性」である。無人諸島ではあるが、以上のような経過の中で、日本人が漁業基地として使用していたこともあるらしい。
 
 琉球王国は明・清国に連続して册封を受けていたが、薩摩藩が介入し、自己の領域とも見なした。琉球王国はそこで二重の統制関係の下に置かれた。日本が明治政府となり、そこで琉球国を正式に自国領域とするということとなったが、清国との関係には手が付けられなかった。そこで清国と話を付けるために妥協案として明治一二年(一八八〇年)に、宮古・石垣などの諸島は清国に、沖縄本島と周辺は日本領土に、との提案を行った。が、清国は琉球全体が清の册封であると妥協を拒否したので交渉は流れたという事実がある。 清時代の清国からの使者が琉球国へ船旅した紀行記が幾つもある。その引用は省くが、魚釣島を経由し、沖縄との間の海溝を越えるコースが採用され、久米島が見えた時に、琉球国に近づいたと記録されているものもある。
 
 さらに、江戸末期、林子平が作成した精度の高い、東アジア諸地域・国が色分けされた地図が残されているらしい。私は見たことはないが、そこには、尖閣諸島(魚釣島)が中国の福州領域と同じ配色で描かれていると報告されている。福州は琉球への船旅の出発点であった。前述したが、福州から魚釣台諸島を経て琉球に至るのが清国使節の正規ルートであり、台湾や先島諸島などの島々コースを採用するものではなかった。魚釣島は「無主地」ではあり得なかったのだ。
 
 そしてさらに、「無主地」という規定は重大な問題を生み出すものである。そうであるとされた竹島(独島)の日本人による私有地化が日韓領土問題の発生の契機であるが、より極めて重大な問題は、戦前の陸軍・関東軍参謀石原完爾による「満州」の「無主地」化の論理化、および「無主」土地の関東軍による占領という行為である。この「満州事変」が一五年戦争の始まりであったが、それ以前の政友会・田中首相(長州閥の最後的陸軍将軍)のものとされる「田中上奏文」による満蒙支配構想(この『田中メモ』は、偽書説が日本では強いが、当時の政府部内各所で合成・配布・回覧された「内部文書」であったろうと思われる)や張作霖爆殺などですでに大陸侵略への準備は着々となされていたのだった。石原は、清朝解体の結果としての「満州」の「無主地」化という理屈を考え出し、「満州」全土占領を行ったという歴史的位置にある。
 
 またサンフランシスコ条約において中国への台湾返還問題の際、そこから尖閣列島が除外され、アメリカの沖縄支配下に置かれ続けたという事実も歴史的には問題であろう。その詳細を私は調べていないので、なぜなのかわからない。誰か、教えてくれないだろうか。カイロ宣言やポツダム宣言など、関連するところは沢山あるはずだ。だが同時に、国府中国も新(共産)中国もサンフランシスコ条約締結には招かれていないし、新中国がこの条約を認めていないことも付加しておこう。
by hilng | 2012-03-04 17:51 | 日本
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